
(派手やかに春を彩る韓国岳のミヤマキリシマ。神話の舞台、高千穂の峰を望む)
九州の山の魅力
九州山岳の最高峰は屋久島の宮之浦岳(1936m)だが、 九州本土の山は1800メートルにも届かず、中央の山に 比べると高さでは見劣りするかもしれない。しかし、九州は 亜熱帯気候で季節の目覚めは早く、3月からマンサク、コブシ、ミヤマキリシマ、ヤマザクラ、ツクシシャクナゲ、ヤマシャクヤクなどが咲き始め、春夏秋冬、さまざまな花が山を飾る。九州の山は、それぞれに自分の見せ場をもっていて我々 を迎えてくれる。
特に、ミヤマキリシマは九州限定の花で、阿蘇、九重、由布、鶴見、霧島などの火山性土壌に咲き、山の斜面を覆い つくす絢爛豪華さは九州の山の一番の魅力だろう。とにかく九州の山、里山は、草原の草花、落葉広葉樹に覆われて 山のぼりの醍醐味を満喫できる。
黒潮に浮かぶ屋久島は、1993年12月白神山地と一緒 に日本初の世界自然遺産に登録された。ひと月35日も降るといわれる雨に浸食された渓谷、超巨大なヤクスギ、高層 湿原に息づく豊富な高山植物など、本土の山では見られない貴重な自然の素晴らしさ。島は洋上アルプスとも呼ばれ、 宮之浦岳を中心に、九州の標高順位では8位まで独占し、 九州の最高主稜をなしている。
九州本土の屋根、九重山は、1700メートル級が10座連で、鐘状火山の優しく親しみやすい山はどの峰も快適に登れる。高山植物も多く、ミヤマキリシマ、イワカガミ、マイヅルソウ、日本南限の植物コケモモの群落、シャクナゲ、 ツツジ類など枚挙にいとまがない。九州でもっとも登山者が 多い山域で、外国の登山客にも人気が高い山だ。
(九州の標高順位の8位までを独占する洋上のアルプス、 屋久島。ひと月に35日は雨が降るといわれるだけに、森も 渓谷も山々も瑞々しく、
緑も豊か。上の写真は最高峰、宮之浦岳。右下は屋久島の代名詞ともなっている縄文杉。 左下は、島の南西を流れ下る小楊子川)
壮大な原生林の稜線を歩く
西日本一のブナの森が広がる九州脊梁山地は、モミ、ミズナラ、ヒメシャラなどの巨木に覆われた日本分水嶺が走る山だ。雑木林が共生した森林は詩情豊かなたたずまいをみせ る。熊本と宮崎の県境沿いに主稜が走り、霧立越、向霧立 越の2本のセミロングトレイルから支稜が派生し、一大広域 の自然林を構成している。上記2本のトレイルは、もとはと いえば山村間の物資を牛馬で運んだ道だったが、道路の延長 により利用は絶えた。その後スズタケが密集して、踏み跡も分からなくなったが、シカの食害や酸性雨、気候変動の影響か枯れ果てたところが多く、明るく見通しのきく山が多くなった。現在は、地元行 政、登山者のボランティアの努力で復活したルートが多い。山奥の過疎化が進み、公 共交通機関もなくなっているが、かなり奥地まで林道が入り、自家用車で入山できる。 平家伝説の須野大八郎や西郷隆盛が越えた歴史の道でもある。また、九州脊梁は九州の多雪地帯で、日本最南端のスキー場もある。晴れ上がった寒凪の空に樹氷・霧氷が 煌めく様は、九州人にとっては最高の喜びだろう。
祖母山、傾山は豊かな原始林に包まれ、 美しい渓谷と大きな樹木や花が何かを語り かけてくれる静かな山だ。深い自然林の中に岩峰群が屹立する大崩山はクライマーを惹きつけて止まない。そのほか、九州は修験道の山も多い。日本三大修験場のひとつ英彦山や求菩提山、多良岳、経ヶ岳、宝満山、高隈山などの山々もスポーツ登山の 愛好者も多い。
山塊の規模は小さくなっても、九州各県には前記の山と同様な素敵な山が存在する。九州の夏山は暑いイメージが付きまとうが、下界の市街地はともかく、入山し、700~800メー トルラインを超えれば涼風の世界、広葉樹林や照葉樹林の道は木陰の道で快適に登れる。春の新緑、秋の紅葉、冬の 雪は少なく、1年中登山ができるのが、九州の山最大の魅 カではなかろうか。
そんな九州の山でも、道迷いや転倒、転落などの遭難事故は起きている。事前の準備を怠らず、安全登山に努め、 九州での登山の良き思い出を残してほしい。
ウエストンが登りたかった九州の山
ウォルター・ウエストンは1888年 (明治21年)に、イ ギリス聖公会宣教師として来日した。初めての赴任地は熊本の聖三一教会だったことはあまり知られていない。しかし、 その頃彼は眼科の病が重く、片方の目は失明状態で横浜の病院に通ったこともあった。来日前は兄と、ヨーロッパアル プスの高峰を多数登り、かなりの登山技術も身に着けていた。当然日本での山登りを楽しみにしていたはずだ。熊本での布教活動は約1年で神戸のユニオンチャーチに異動する。念願の登山を始め、日本での最初の山はやはり富士山。 その後に彼が向かったのは飛騨・木曽・赤石山脈の山では なく、熊本在任中登れなかった九州の山、阿蘇山・祖母山・ 高千穂の峰・韓国岳・桜島だった。正確な測量が終わるまでは祖母山が九州の最高峰とみなされた時代があった。そのこともウエストンの心を惹きつけたのかも知れない。秋晴れの下で眺める九州の自然の素晴らしさに感動したに違いない。
九州から選ばれた6座の「百名山」
深田久弥氏の『日本百名山』は中高年の大きな登山目標になっている。その著書の後記の中で、百名山選定の基準が示されている。第一は「山の品格」、第二は「昔から人間と深いかわりを持つ山」。第三は「個性のある山。その形体、 現象、伝統であれ、他に無く、その山だけが備えている強 烈な個のある山」。附加的条件として、大よそ1500メー トル以上の山。例外は筑波山と開聞岳だとしている。
百名山の中に九州からは6座(九重山・祖母山・阿蘇山・ 霧島山・開聞岳・宮之浦岳)を選び、後記の中で、「ほか に由布山、市房山、桜島山が念頭にあった。いずれも個性 のあるみごとな山である。」と書いている。なるほど選ばれた 6座については、九州人にとっても異存はないところであろう。選ばれた6座についての紹介は、同書に委ねるとして、 念頭にあった3山については簡単にふれておきたい。
まず由布岳…由布岳は豊後富士と呼ばれる秀麗な双樹峰 で、古い時代には九州随一の名山筑紫富士といわれていた時 代もあった。山姿が鋭く綺麗で泰然と構えた山。中腹の合 野越からは傾斜も増すが、2時間くらいで登頂でき、登山 者は絶えない。近くには湯布院、別府などの有名な温泉がある。
市房山…市房山は熊本・宮崎県境沿いにあり、人吉側か らの山容は優雅で風格がある。この地方では古くから御岳さんと呼び、四合目の市房神社は人吉藩主の信仰心も厚く、 近在の人々による御岳参りで賑わった。登山者は人吉側から が多いが、宮崎県の上米良からも明るく登りやすく、展望も優れた山。
桜島山…鹿児島湾に浮かぶ周囲35キロの火山島が、1914年の大噴火で大隅半島と陸続きになった。その後休むことなく噴火活動を繰り返している。頂上は北岳、中岳、南岳の3峰がいずれも1000メートルを超える。1955年の南岳の大噴火以来登山禁止が続いて、現在は湯之平展望所 (374m)までしか登れない。
以上3峰いずれも、個性、魅力の溢れる山である。
(未だ噴煙を上げ続ける鹿児島のシンボル、桜島。 かつてウエストンも憧れ、目指した山のひとつだ。 左下は初夏の阿蘇山草千里。荒々しい火山とたおやかな緑の平原。これも阿蘇の持つ奥深さか。 右は別府の鉄輪温泉の「地獄蒸し」。火山の恵 みは食も豊かにしてくれる)
九重山と久住山の論争
深田は『日本百名山』の「九重山」の項で漢字は「九重」 か「久住」かの問題に触れてある。 読み方、発音は「くじゅう」 と同じである。しかし国土地理院の地図に九重山という峰はなく、久住山 (1786.5m)という峰はあるところから呼称問題や、最高地点の領地、2つの山号・寺院の問題 から論争は続いていた。
歴史的にみると、江戸時代この山群は幕府領(天領)・ 岡藩領・肥後藩領の三つに分かれていた。また、それぞれに 山号があり、山を信仰の対象とする寺院がある。天領に於いてはいては九重山幸水寺・金山坊、岡藩領では九重山法華院白水寺、肥後藩領では久住山猪鹿狼寺と呼んでいた。また、 山号が山名になり、南側の肥後藩側は久住、北・南側の天領・岡藩側は九重を使用して、反目、対立は江戸時代から 続いていた。
地元において、久住、九重の名称について本格的な論争、 紛争が起きたのは、山群が観光資源、登山基地として知られるようになってからだった。そんな中で、紛糾する問題を憂慮された九州山岳連盟会長だった加藤数功氏が、昭和12 年出版された「九州山岳」第2集に投稿され、「九重山は 山群の総称に、久住山は最高峰の名称に』と説かれた。登 山者はその案に従ったが、それですべて問題が決したわけではなかった。
こうした中で、関係町村の観光協会が動き出し、山開きの共同活動や統一した観光宣伝 を図る動きも出て、「九重」をカナ表記にして、連合して「くじゅう観光連盟」を設立した。
さらに、昭和9年に指定された阿蘇国立公園は、阿蘇、久住、 由布、鶴見まで含みながら公園名には阿蘇だけになっていた。これも観光連盟や行政との運動により、昭和6年『阿蘇くじゅう 国立公園』への変更が実現した。
なお、昭和6年九州水力電 気(株)による「坊ガツル・ダム建設計画」が持ち上がった。 加藤氏を中心に反対運動が展開され、中止に追い込んだ。この運動がなかったら、九州のシャングリラ・坊ガツルは湖底に沈んでいただろう。加藤さんの功績を忘れてはならない。
(ミヤマキリシマの山として名高い「くじゅう」であるが、冬化粧もまた趣きのある景色。昨今は温暖化の影響 か、山々が白く染まることも少なくなっている。「九重」 か「久住」か「くじゅう」か、表記はどうであれ、山の魅力は変わらない(写真・金子 雄爾)。左は鹿児島にある霧島神社。この一帯は日本の神話にも登場する天孫降臨の伝説の地)
九州「宮崎」は神話特区
九州では宮崎を中心に古事記や日本書紀に残された神話 の山が多数ある。神話の舞台では、天上界の高天原(天つ国) と、地上界(葦原の中つ国)に分かれていた。皇祖アマテラ スは「葦原の中つ国が乱れているので、治めよ」と孫のニニ ギノミコトに命じた。二ニギは随行の神々を従えて地上に降臨され、中つ国を統治された。降臨された場所について古事 記では「日向高千穂のくしふるたけ」、日本書紀には『襲の 高千穂のくしひの二上のたけ』とある。天孫降臨は一度では なく、その他の神が降臨した話もある。例えば降臨した地 に水がなく、天つ国に水の種を取りに帰り、再度降臨して 水の種を植え付けたら、水が出た話など。はたして、霧島 山の高千穂の峰か、日向の高千穂二上山か、現在も決定的 な論拠はみつからない。自分の山を正当化する「本家争い」 もあったそうだが、今は、双方とも「自分の山が天孫降臨 の山」と信じ、古式のままに祭礼を続けたり、神域の保護に努めているようだ。
九州は火の国・火の山
火山には以前、活火山・死火山・休火山の分類があったが、 今は、活火山ひとつになった。定義は「過去1万年以内に噴 火および、現在活発な噴気活動のある火山」が活火山で、 全国で111山が選ばれている。そのうち50の山が常時観測火 山で、九州では、鶴見岳・九重山・阿蘇山・霧島山・桜島・ 雲仙など9つが指定されている。
もともと熊本は「火の国」と呼ばれていたが、活動が始 まると、噴石、火山灰を降らし、火山ガスを噴出して被害を与えてきた。九州全体を火の国と呼んだ時代もあったそうだか、いずれにせよ活動が始まると、どの県も火の山・火の国である。
ただ火山は被害をもたらす事もあるが、逆に恩恵を与えることも多い。火山地形は透水性も高く、湧水性にも恵まれ、例えば熊本市の上水道が100%地下水で賄われている のも阿蘇火山のお陰である。また、マグマ溜りが作り出した 地熱は温泉を生み、大きな観光産業を支え、再生可能エネ ルギーとして地熱発電や、農業ハウス、温水プールや、家庭 の暖房などで利用されている。
温泉の泉源数全国ランギングを見ても、大分県が約4340で断然1位、2位は鹿児島県、熊本県5位と九州は温 泉王国。登山の後の温泉は至福の時を与えてくれている。
火の山を恐れず愛する
ある時、何ごとにも便利な都会に住む人から「なぜ九州 の人は、火の山を恐れず、むしろ愛するのか?」と聞かれた。私も阿蘇山麓での生活は通算20年位だがすぐには答えられず地元のさるお方に聞いてみた。返ってきたお答え。「阿蘇 は標高が高く、作物は冷害にあったり、やせた火山灰土で凶 作が多く生活は苦しかった。降灰、火山ガス噴出、たまに落 雷、火山爆発などが起こると、それは神の怒りと恐れていた。 しかし、それらに精一杯立ち向かってきた。それでも自然の カにはとても勝てないことを悟ると、今度は神に頼る外はな かった。それからは、神を信じ、神に祈り、自然の安泰と五 穀豊穣を祈願した。阿蘇の人は、自然を恨んだり戦ったり するより、自然に対して敬虔な心をもって向かい、神を信じ、 神を愛して生きてきた」。
2016年4月には熊本地震、10月には中岳が大爆発し た。大量の噴石と火山灰でビニールハウスは蜂の巣のように 穴があき、露地栽培の野菜は一夜にして全滅した。商品価 値がなくなった野菜を茫然と眺めておられる古老に、私は 「ようできとったとに、きつかですね。」と話し掛けた。年寄りの答えはしっかり地についていた。「こら、しよんなかですもんな。阿蘇のこぎゃんよかとこに住まわしてもろとるけん、 たまにゃしよんなかっです」と。自然との付き合い方を叩き 込まれた気がした。それまではヨナ (火山灰)が降ると憂鬱 になり「早くやんでくれ」と思ったが、今では「いつかはや むから」と、「しよんなか」で済ませるようになった。
阿蘇の人々には、火山活動による被害などで神仏崇拝の念が高まり、阿蘇特異の宗教的な文化、社 会が生まれたと私は考える。阿蘇 大明神・健盤龍命を崇拝し、人や 自然を大切にしながら共に生きて いる。本来私は他所者だが、いまは阿蘇の自然、神、人の中に満ち 足りながら生かされている。
(九州は火の国、火の山。鶴見岳、九重山、阿蘇山、霧島山、 桜島、雲仙など9つの山々が、現在活発な噴気活動のある山 として指定されている。 写真は阿蘇山の中岳)
工藤文昭 くどうふみあき
1938年熊本県菊池市泗水町生まれ。熊本県内の高校教諭、山岳部顧問を歴任。30歳から海外登山を 始め、
世界6大陸の山、北極圏グリーンランドを登る。 前熊本県山岳連盟会長・日本山岳会会員。

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九州の山と自然を知ろう 工藤文昭 (「山の日マガジン 2020」掲載)
「なぜ九州の人は火の山を恐れず、むしろ愛するのですか」
「それは自然のきびしさを知り、敬虔な心をもって山々と向き合うからではない でしょうか」
四季それぞれに変化や九州の山と自然の魅力を、阿蘇に暮らす工藤さんに綴ってもらった。